(続き)何故危険であるのか。それはプレイヤーごとに求める楽しみが異なる可能性があるためである。求める楽しみが異なると何故危険なのか。それはRPGが協調作業で成り立つものであるため、それぞれが別な楽しみを持ってRPGに望むとするならば、協調作業が成立しない可能性が高く、その結果RPGが上手く成り立たなくなるかもしれないからだ。例えば音楽の世界で類似の例を想定しよう。音楽には既に周知な様に多数の分野があり、それらは全て音楽と言うワクで括られるにも関わらず、目指している目標、見出している楽しみ方はは異なる。楽しみ方の異なるプレイヤーすなわち演奏者が集まればどうなるか。例えば、クラッシックとロックとテクノのプレイヤーが集まり、それぞれ自分の領域の楽しみを追求すればどうなるか想像に難くないだろう。もちろん、それらの者が共に音楽的に非凡な天才であり、熟達した技術と天才的な感性と超人的な音感を持ってその演奏会を成功に導くこともあるだろう。そして、それすらもRPGの場合に当てはまる。すなわち、真に熟練したプレイヤー同士ならば異なる楽しみ方を持っていたとしても譲るところは譲り、求めるところは求め、全員が楽しみことも可能だろう。しかし、それらは全員が非常な技能を所持していることが前提なのだ。ここで、自分で熟達しているとおもう人はまず胸に手を当て先に上げた楽しみ方全ての利点と欠点を挙げ、また、それら全ての楽しみ方をすることができるか考えてみて欲しい。当然、これはらは必要な技能の中では基礎の基礎だ。(続く)
週刊野良騎士団:No.36 -2---10/14(日)22:10---団長