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TITLE:週刊野良騎士団No36-3
AUTOR:団長
DATE:10/19(金)01:06


 次に、どうすれば危険が避けられるかを考えてみる。
 この思考の先には、消極的な策ではあるが、確かな解決案が一つある。
 それは、そのRPGセッションの主催者が目指す楽しみを先に明言することである。これは極めて当然の発想である。例えばサッカーを期待し球技場に行った者に対し、その球技場が野球を提供していたならば、その者が立腹するのは想像に難くないだろう。それと同じ事なのだ。そこで行なわれるのが野球なのかサッカーなのか、先に明言しておけばこの喜劇的悲劇は容易に回避できると言うわけだ。

 言われてみれば単純な話だろう。
 しかし、問題は何故このような危険が今まで放置され、そして喜劇的悲劇を拡大再選しつづけているかと言うことである。
 ここでは、この問題はRPGの実施形態にあったと推測する。理由を以下に述べる。

 先に結論から言うならば、RPGが気心の知れあった同志の中でプレイされ発展してきたために、価値観が相違する局面を想定できなかったであろうことが問題なのだ。

 そもそもRPGのもっとも素朴な実施形態は、仲の良い友人同士で集まり、規定した課題に対し架空の資源を用いた達成法を参加者同士の相互作用の中で導くものであると言える。

 規定した課題とは、「キャラクタを通じて世界に平和を取り戻す」ことであったり、「キャラクタを架空世界で生活させる」ことであったり、「キャラクタに恐怖体験をさせる」ことであったり、「好みの物語を構築する」ことであったりと非常に多岐に渡り、それぞれの課題はより適した楽しみ方を持つ。

 架空の資源とは、多くの場合RPGプレイヤーが担当するキャラクターの能力や所持品である。場合によっては、キャラクターそのものが資源であったり、キャラクターの経歴が資源になる場合もある。

 この前提を噛み締めた上で考えればRPGというものが如何に広い範囲を覆う概念であり、行為であるかは容易に想像がつくだろう。だからこそ、その広い範囲の何処を目指すのかをしっかりと参加者や参加希望者に知らしめる必要がある。RPGはまだまだ若い分野であるため、こういった細分が確立されていないように思う。そのせいで、そもそも目指すものが違う者同士があたかも同じものを目指しながら、その手段が異なる不倶戴天の敵ででもあるかのような議論が繰り広げる状況が生じる場合すらある。

 これは大きな問題だ。これからのRPGはもっとはっきりと自分のコンセプトを明言し、差別化を図る必要があると思う。言ってしまえば、RPGは進化と変化を繰り返したが、未だ系統だった分析が広く世には広まっていないのだと。だからRPGという一括りで全てをまとめようとし、当然ながらそれが果たせず、混乱していくのだ。

 もう一度言おう。
 RPGをする時は明確に楽しみ方と、その方向性を明言せよ。
 それがRPGを楽しむ上で、まず第一にやるべきことなのだ。

 諸氏は自分にとってのRPGの楽しみ方を把握し、さらにそのセッションにおいて目指している楽しみ方を把握しているだろうか?
 こう言ったことを考えるのは確かに面倒で、手軽に気晴らしをするための行為のために行う気は起きないかもしれない。しかし、手軽な気晴らしとしてさえ、楽しむことは重要であることは疑いなく、そのためには確かに行わなくてはならない行為なのだ。そして、メーカーから提供されるゲームがどのような楽しみ方を想定しているかを調べ、それと自分の楽しみ方と比べてみてはどうだろうか。きっと、新しい発見があると思う。

以上!




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週刊野良騎士団No36-3---10/19(金)01:06---団長

 +-ちらり---10/26(金)15:55---LOST


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