昨日の龍騎スペシャルですが、見所はカメレオンの実写版キン肉ドライバー、とったところでしょうか。# ライダー地獄車の例もあるのでさほど驚かなかったが、# カメレオンとの連携の仕方は呆れ、そして驚愕した。# いいぞ、カメレオン。 挨拶からスペシャルを見ていない方を切り捨てた上、当然の如く、龍騎を普段から見ていない方を相手にしていない状態ですが、お祭りと言うことでご容赦ください。 昨年のG3マイルドで失笑をかった日曜日朝八時特撮物の夜への出張版ですが、今回も気持ち良く本編を事象地平の彼方に置き去りにし、景気良く迷走していました。 もっとも、普段この番組を視聴しない人間がこの放送だけを見ても、普段この番組を視聴している人間がこの放送を見逃しても、大勢に影響しないように一生懸命に頑張った様(さま)は見て取れるので、評価はするべきだと思います。 例え、相変わらず人数を持て余しても、です。# 正味な話し、40分足らずに13人の超人を出すのは無理だ。 さて本特番最大の特徴は「視聴者の選択で結末が変わる」という点でした。番組開始時から、龍騎がナイトの後を継ぎ、ある人を救うために戦いつづけるか、コアミラー(ミラーワールドの核)を破壊し戦いをある人を見捨てることと引き換えに戦いを止めさせるか、特定電話番号に電話をかけることで投票する、という仕組みでした。 結局、視聴者が選んだのがどっちだったかは…興味のある人はそれ系のサイトで自力で探してみましょう。# 1999年頃、サンパギータ(PSのぎゃるげー)の選択肢を同様の方法で選び、# TV上でゲームを進めるという番組があった。# 少ない資本で興味を引くうまい方法だったと思う。 以前皇子が申しておりましたが、ゲームならぬ番組に多数の結末を用意する物語構成は邪道だ、との意見に、私も心情的には賛成です。 シナリオを書く人間にとって、マルチエンディングは耐えがたい魅力があります。当然の事ながら一本のシナリオを書くというのは他の可能性を切り捨てて一つを選ぶと言うことに他ならないからです。RPGのシナリオも同様でして、シナリオを書いている段階では多くの可能性がありますが、一度プレイしてしまえば、「<重要>キャラクターが選ばなかった可能性</重要>」は全て消失します。 マルチエンディングというものはそこを打開します。しかし、当然欠点もあり、何度も同じような道筋をたどるわけですから、一人遊びのような、プレイヤーが飽きるまで続けられる形態でないと冗長さを感じさせてしまいます。# えろげーのビュジュアルノベルとマルチエンディングと言うものの相性の良さを痛感。# この手のハシリは弟切草あたりなのか? > 弟切草識者 ただし、龍騎のこの番組形態はもしかすると今後増えていく(だろうと予想される)視聴者参加型の番組の魁なのかもしれないな、とも思います。 広い意味で取れば、TV版ガンダム、小説版ガンダム、劇場版ガンダム、ガンダムオリジンはマルチエンディングと言えなくも無いですし、甚だしい例では、TV版マクロスと劇場版マクロスのように、20年以上前にヒロインが変わるギャルゲー裸足のマルチエンディングを世に放っているわけですし、そう珍しいものでも無いように思えます。# 詭弁だ、という反論は黙殺するのであしからず。 さてはて、龍騎特番について語っていたのに気が付けば別なことを語っておりましたが、結局この先メディアはどう動いていくのか、という止め処も無い話をしてしまいました。 まだ、くだらないことを書きそうなので、今回はこのあたりで。以上です。
[Root]龍騎マルチエンディング>皇子向け---2002/09/21(土)00:23---団長